僕は今まで、食傷の事象についてはあやふやにしか捉えることができず、「行動力がある」「表現力が優れる」などと非常に曖昧模糊でした。
それで、しばらく、食傷の本質について思考を回らせたのですが、一つ思い浮かびました。それは、
単純
非常にシンプルな言葉ですが、食傷を除いた通変で、人の行動を考察した場合、必ず何かが付随すると考えます。
財で人の行動を考察した場合、その行動の先には必ず対象物があります。例えば、名声を手に入れたいから世間ウケするブログを書くということがあります。行動には必ず目的を伴います。
官殺で人の行動を考察した場合、その行動の基には強迫観念があります。例えば、ブログを書かないと自分の気持ちが済まないということがあります。自分の行動を義務として考えます。
印で人の行動を考察した場合、その行動そのものに快楽を見出します。例えば、ブログを書くこと自体が気持ちいいということがあります。自分の行動に自惚れます。
比劫は自我を強めるだけで、行動という目に見える現象にまで辿り着きません。
食傷の場合は、行動という目に見える現象には辿り着きますが、その行動には付随するものがありません。先のブログで例えると、ただ書きたいだけだったり自分の気持ちを晒したいだけだったりします。
行動に理由がないのです。目的も義務も快楽もありません。
食傷の本質は単純であると考えたのは、これが理由です。恐らく、食傷が隣接する人の行動というのは、何の纏いもない真っ白で純粋な行動であると考えられます。
五行の生剋で考えても、食傷は日干に一番近い位置にいるので、合致します。
どんな行動をとるかなどの詳細な事象まではわからないでしょう。その人の歩んできた人生の中で見てきたものによって、どんな行動をとるかは変わります。ただ、その行動には表裏がないというのは確かです。
自分から直接洩れるということもあって、また、何も纏っていないということもあって、その行動はストレートかつスピーディーに表れますね。純粋無垢で自分の気持ちを素直に表現するので、僕は食傷に好感を持てます。表裏がある人だと、どんな顔を持っているかわからないですから。
以上で終わります。今回もご来訪いただきありがとうございました。
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