誰かが窮状に陥っている時、その人は何かしらの異常を発していることがほとんどですが、その異常に対して、「甘えんな」とか「俺の知ったこっちゃない」とか考える冷酷なる人がいます。
木のある僕にとって、このような発言をする者に対して、深く憤りを感じるのですが、このような発言をする者の特徴を子平的に考えてみました。
情けがないということで、情けの象徴である木を剋す「金」の存在をすぐに思い浮かびますが、金だけではそうはならないと思っています。
金は、公平と客観的姿勢を崩さない五行です。万事を観察し、俯瞰するような見方で、人間としてあるべき姿を追求します。
そう考えると、窮状に陥っている人に対して、そのような冷酷な発言はできないと思えるのです。厳しく接しながらも、どこかに救いを差しのべるような情の深さを感じとれると考えられます。公平ですから、アメとムチの両方を用意するのです。
では、何が冷酷なだけにしているのかと考えたら、「火」の存在をうっすら感じるようになってきたのです。
火は礼節を重んじますから、何でもかんでも「形式化」しようとします。ある形式から逸れたことに対して、ひどく嫌悪を感じるのが火であると考えることができます。
そのため、異常というのは、ある形式から逸れている状態ですから、火を持つ人はその異常に対して、冷酷なだけになると考えられます。
金を火が強く剋している場合は、より顕著になると言えます。公平な視点を削ごうとするのですから、好き嫌いが激しくなるのは自然です。形式から逸れていない方にはアメばかりを与えて、逸れている方にはムチばかりを与えると言えます。それに加え、恒常性を与える土があるとより顕著になるでしょう。水があれば火を消しますから、そのようなことは緩和されると言えます。木は情を与えますから、言わずもがなでしょう。
今までは、冷酷な人の特徴には金があると考えていましたが、ようよう観察と分析を繰り返していると、金ではなくて金を剋す火の存在が浮かんできました。身内や芸能人を観察していると、金だけより、火が金を剋している場合の方が、より冷酷さが強いということがわかりました。自分の過去を振り返っても、癸巳と甲午の頃はどこか冷たさがあったように思えます。
火が金を強く剋している作用の強い人は、冷徹なだけで、排他主義精神が強いと思えます。このような人には好印象は持てませんね。なるべく物事を公平に見るようにしているのですが、冷徹なだけなら悪印象を持たざるを得ないです。排他思考が強いということは、他を受け入れない自己中心的な思考が強すぎることを意味していますから。
以上で終わります。今回もご来訪いただきありがとうございました。
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